開山二祖真教上人

■法蔵寺開山他阿真教上人

郡守山田村院法蔵寺は、鎌倉時代中期の正応二 (一二八九)年三月、遊行二祖他阿弥陀仏真教(一二三七ち一三一九)開山と伝える古刹である。
真教の生地は明らかでない。浄土宗西山派の祖弁長の弟子であったという。建治三(一二セさ年九州遊行中の一遍に出会い、その門に入った。
一遍が全国各地を遊行するのに同行し、時衆の中心的役割を果たすようになった。法蔵寺開山は宗祖一遍の没する五力月前にあたり、勧請開山と思われる。
一遍が没すると、衆に推されて時衆二代遊行上人となった。真教は一遍と同じ十六年の間、北陸と関東とを繰り返し遊行した。これは真教が一遍と異なり、教団組織強化の意図があったためで、真教在世時に百力所に及ぶ道場があったといわれる。各地に道場を設け僧尼を住まわせたことは、一遍の一所不住の精神と異なるが、衆生の請いに応ずることであり、その道場がまた諸国遊行の拠点となることで、一遍の一切衆生に念仏を勧める意図を実現することになる。一遍が理想を追う宗教者であったのに対し、真教はすぐれた組織者であった。
相模国当麻(相模原市)の無量光寺に隠棲独住してからもさかんな宗教活動を続け、元応元二三一九)午無量光寺で没した。
八十三歳であった真教のあとを継いだ智得の弟子真光は当麻にとどまり、法弟呑海は藤沢に進出して清浄光寺を創建した。
鎌倉時代末期から室町時代前期にかけて、賦算による民衆の教化と、戦場に臨んで死骸の処理をし最後の十念を授けた陣僧など武士層との結びつきによつて、時衆は飛躍的発展を遂げ、一時は十二派に分かれて栄えた。