蓮 法蔵寺写真コンテスト

毎年恒例の夏の蓮まつりでは、皆さんが撮影した法蔵寺の蓮の写真コンテストを行っています。

遅くなってしまいましたが、その審査会をしました。
中村邦夫さん、影山博さん、渡辺勝さんに審査をお願いしました。
初めて写真の審査というものを目にしたのですが、
選出する理由が非常に理にかなっているというか、なぜそれがいいのかというのが明確なことに驚きました。
ただ漠然と写真を選んでいるわけではないことを知りました。
写真の見方を教わったような感じでした。

受賞者の方には後日、ささやかな賞品を贈呈する予定です。

 

影山博ホームページ
http://ks-photospace.com/

渡辺勝ホームページ
http://big244.com/

法然上人追慕念仏行脚

1月24日、大寒波が訪れ、寒風吹荒れる京都にて法然上人追慕念仏行脚(下記参照)に参加してきました。
お念仏(南無阿弥陀仏)を称える宗派が勢ぞろいし、その数、総勢200名超の大行列でした。
念仏をお称えしながら、およそ16キロの行程を歩きましたが、200名の坊さんがお念仏を称えながら歩くさまは、まさに圧巻でした。
昔は、長距離走で鳴らした私でしたが、四十を越えた身で歩ききれるか少々の不安があったのですが、なんとか最後まで満行することができました。
各所で法然上人の御回向をするのですが、浄土門200名超の読経はすばらしく感動的でありました。
宗門を超えて南無阿弥陀仏で一つになれた気持ちになれました。
途中の休憩で、おにぎりやおぜんざいお茶のご接待をいただき力が出ました。ありがとうございました。
念仏行脚を準備していただいた、京都念仏行脚連絡協議会の皆様ありがとうございました。

 

太秦西光寺を出発

嵐山公園

井戸来迎寺(禅林寺末)

寺戸来迎寺(光明寺末)

粟生光明寺(本山) 着
法然上人荼毘跡にて法要

念仏行脚とは、
建暦二年(1212年)正月25日、法然上人がお亡くなりになりました。
晩年は奈良、叡山の古い教団から迫害を受け、滅後の嘉禄三年(1227年)には叡山の衆徒が大谷の墳墓を暴いてご遺骸を鴨川に流そうと企てたので、上人の遺弟達は秘かにご遺骸の石棺を嵯峨に移し、更に太秦の西光寺に移しました。
翌安貞二年正月20日の夜、上人の棺より数条の光明が放たれ、南西の粟生野を照らすと言う奇瑞が現れましたので、同月25日ご遺骸をこの粟生野の地で荼毘に付し寺の裏山にご芳骨を納め御廟堂を建てました。
このことに因み毎年1月24日(お逮夜)に法然上人追慕の為に念仏行脚を営まれるようになりました。
(参照 西山浄土宗総本山 光明寺 ブログ)

徳光和夫さん 来寺

1月21日、徳光和夫さんが法蔵寺に来てくれました。
今回は、
政府インターネットテレビ「徳光・木佐の知りたいニッポン」
https://nettv.gov-online.go.jp/category_index.html?t=141

の撮影でお越しいただきました。
ちょうどその日は、法蔵寺の御年始受けの日だったので、
檀家のお客様もいらっしゃり、大変賑やかに撮影できました。

徳光さんは、幼少期に法蔵寺に疎開をされていて、
それから親しくお付き合いしていただいております。
徳光さんにも三春の思い出がたくさんあるようで、
懐かしそうにお話されていました。

21日は三春町内でダルマ市も開催されていたので、
そこでも撮影されたそうです。
聞くところによると、ダルマ市のお客さんに囲まれて大変だったそうです。
政府インターネットテレビ「徳光・木佐の知りたいニッポン」の放送の日程が決まり次第、ここでお伝えします。

徳光さん、お越しいただき本当にありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにしたいと思います。

【関連】
鶴瓶の家族に乾杯
http://houzouji.com/archives/138

笑福亭鶴瓶さんと徳光和夫さん
http://houzouji.com/archives/177