10年位前私が本山で勤めていた頃、お世話になっっていた岩手のある御老僧のお部屋にお邪魔した時、
『俺はお茶出すぐらいしかできねぇけど、まぁ一杯飲んでげ(いけ)。多田君頑張ってんなぁ』
と言葉をかけてくれたことをなぜか最近思い出しました。
その当時私は、自分のことで精一杯で周りのことなんてまったく考えてませんでした。
『自分が正しい。間違ってない。正論。やるべきことやってるし』
今思うとこれだけしか考えてませんでした。当然周りに感謝なんてしません。
老僧の言葉のなかにある『優しさ、いたわり』や『周り見ろ。気付け』の暗黙のメッセージがあるのも露知らず。
でもなんか気になる言葉でした。
『お茶出すぐらいしかできねぇけど、まぁ一杯飲んでげ』
今になって老僧の気遣いや寛大さの一端を感じ、また自分の生意気さを恥たりしています。
まぁ、さも成長しているような文調ですが、あの頃からチットモ変わってない自分でもあったりするわけで・・・。難儀です。
住職 『喫茶去』