四法印 ②諸法無我

『諸法』とはあらゆるもの。『無我』とはそのあらゆるものに永遠に変わらないものはないということです。昔は、『わがもの』『自分の所有』などというものはないという意味で使われ、執着を離れることを促す意味が強かったようです。
今手元に千円があるとします。これを『私のものだ』と執着しても、夕飯を食べるときなってお腹が空けば、何か食べ物を買わざるを得ません。すると千円はなくなります。また、死んであの世に千円を持っていけるものでもありません。千円は今たまたま縁があって私の手元にあるだけなのです。
私たちは、せめて自分の体だけは自分のものと思っています。しかし、その体だって意に反して年老い、病気になり、死んでいくのです。これも自分の思い通りにならないのですから自分のものとは言えません。
自分の心であっても思い通りにはいきません。思い通りにいかなくて常に苦しんでいます。思い通りになるものなどないのです。つまり、思い通りにならないのに自分のものだと思い込むから、私たちに苦しみが生じるのです。それをお釈迦様は、『執着』と戒められたのです。
後年仏教思想が発展していくと、『無我』は永遠不変の絶対的な存在としての我などないという意味に深化していきます。『無常』と似ているのですが、無常がすべてのものは生滅変化するというところに力点が置かれているのに対し、無我では不変のものはないと否定が強調されています。
『無我』というものが大乗仏教の時代になり『空』という言葉で言い換えられることが多くなります。

引用:仏教のことが面白いほどわかる本 著田中治郎

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