いよいよ食欲の秋でございます。
サンマもうまいっすね。
秋ナスもうまいっすね。
栗ごはんもうまい。
梨も大好き。
会津の柿、最高。
もうなんでも美味いってぐらい美味いものがいっぱいです。
普段、私達が食事をする時に感じること、または考える事と言えば、
「美味いか不味いか」
「腹一杯か足りないか」
ぐらいのことだと思います。
がしかし、私達が食事から得られるものは、味覚的な満足や、身体的な栄養を得るだけのものではありません。
もっと私達の生き方や考え方にも大きな徳を与えてくれるものなのです。
我々時宗の坊さんは食事の前には必ずお経をお唱えします。そのお経のなかで『五観』という一節があり、解りやすいので紹介したいと思います。
『五 観 偈』
一つには功の多少を計り彼の来処を量る
二つには己が徳行の全欠多減を計る
三つには心を防ぎ過(とが)を顕すに三毒に過ぎず
四つには正(まさ)しく良薬を事として行苦を救うことを取る
五つには道業を成ぜんが為に世報は意に非ず
意味
(1)目の前の食べ物を生産した人々の苦労に思いを馳せ、また自分のもとへ運ばれてくるまでの経過や手間を想像してみましょう。
食材、生産者、流通業者、販売者、調理者など、実に多くの存在のつながりによって、今目前置かれた食事がまたとない形で成り立っていることを知ることが大切です。
(2)このようなありがたい食べ物を受ける資格が自分にあるのかどうか、己の行いを振り返りましょう。
「自分は食べて当たり前」の存在ではなく、「食べさせて頂ける」存在であるという謙虚な姿勢から、感謝の念は生まれます。
(3)修行とは、心の汚れを清めることであり、貪瞋癡(トンジンチ、むさぼり、怒り、愚かさ)の三毒を払いのけ、克服することが大切です。
食事における三毒とは、たとえば「他の人より多く食べたい」「より美味しいものを食べたい」といった貪欲、美味しくないものを食べさせられたときに浮かぶ怒り、食べ物をいただくことの意義や食事作法の大切さがわからない愚かさなどが挙げられます。
(4)身体が痩せ衰えるのを癒やすための良薬と位置づけて、食事をいただきます。
人は、食べ物を摂取しなければ生きてはいけません。自己存在を根底から支えてくれているのが、まさに『食事』なのです。その自覚を持ちましょう。
(5)仏さまと同じ悟りに達するために、この食事をいただきます。
仏さまがしておられたように、この食事を仏道実践の糧にしていくことを誓って、有り難くいただきましょう。
食欲の秋、美味しいものをいただく際に、ちょっと上記のようなことを考えてから食べてみてはいかがでしょうか。
感謝の気持ちと共により一層美味しくなるのではないでしょうか。
食べ物を心身の良薬にするのも、暴飲暴食、脂肪の元にするのも自分次第です。
会う人、会う人に「・・・太ったね」と言われる自分の戒めのために記す。
引用
小さな心から抜け出す お坊さんの1日1分説法
著 彼岸寺