四法印 ①諸行無常

インドでお生まれになったお釈迦様が広めたのが仏教です。その仏教の基本の教えに『四法印』というものがあります。仏教を理解する上で大事な教えなので全四回に分けてご紹介します。

四法印 ①諸行無常
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・・・』
平家物語で有名な一説です。『諸行』とはあらゆるものごとや事象のことで、『無常』とは常に変化生滅していて不変なものは存在しないということです。
変わらないものはない。茶碗もいつかは割れてしまい、人も死を迎え、宇宙もいつかは滅びてしまう。すべてのものは生まれ、常に変化し、滅んでいく。ともすれば私たちは今の状態がいつまでも続くものだと思い込んでしまい、それにこだわるので、変化に巻き込まれたときに苦しいと感じてしまうのです。
無常を前提にものごとを観察し、事態に対処していくならば、変化が当たり前なのですからそれに動じることなくなります。私たちが年老い、死んでいくことは当たり前なのです。逆にそのような存在だからこそ、将来老いることを嫌ったり、死ぬことを恐怖するのではなく、今現在を充実して生きることが大切だと考えられるのです。
お釈迦様は、必要以上に過去にこだわったり、未来を案じるのではなく、今目の前にある現実をしっかり生きなさいと言っているのです。

引用:仏教のことが面白いほどわかる本 著田中治郎

四諦八正道

四諦八正道(シタイハッショウドウ)と読みます。
35 歳で悟りを得たお釈迦様の初めての説法(初転法輪)が四諦八正道であり、仏教の根本の教えとされています。
生きていることは「苦」であるという考えを具体的に示し、「苦」からの解放を説いたもので、「四諦」の「諦」という字の語源は「道理を明らかにする」という意味であって、「真理」や「悟り」を表しています。

四諦
  「四諦」とは仏陀の説いた四つの真理「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」のことをいいます。

  苦諦…この世は苦の世界だという真理
    生・老・病・死、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取蘊苦  

  集諦…その苦には原因があるという真理

  滅諦…苦の原因を滅すれば苦も消滅するという真理
      物事への欲望と執着をなくせば
      「涅槃(悟りの境地)」につながる

  道諦…苦を滅する方法を示した真理
       道諦をさらに詳しく説いて八つの修行法も定めた。
       これがいわゆる『八正道』です。

八正道

  ①正見…正しい見解…お釈迦様の教え(四諦)を理解すること。
  ②正思惟…正しい考え…よこしまな考えを持たないこと。
  ③正語…正しい言葉…うそをつかない。
  ④正業…正しい行ない…殺生、盗みなどをしない。
  ⑤正命…正しい生活…生活の糧を正しい方法で得て、規則正しく生活する。
  ⑥正精進…正しい努力…悟りに向かって努力すること。
  ⑦正念…正しい思念…仏の教えを思いながら生活すること。
  ⑧正定…正しい精神統一…静かな心で瞑想すること。

この四つの真理(四諦)を熟知し、中道(八正道)を実践すれば、一切の苦しみから脱することができるということです。
正しい言葉を使い、よこしまな行いを避け、正しい生活をすれば、仏の教えを忘れないようになり、心身ともに動揺することのない精神統一ができるようになり、正しい見解と考えが身につく。そのためには常に精進しなければならない。
・・・ということです。これがお釈迦様の『四諦八正道』の教えです。

参考 『四苦八苦  苦しみの対処法、及び、予防策』

縁起

仏教の重要の教えです。無常や四諦八正道にも関わる教えで、難解なところもありますが、簡単に説明します。
『因縁生起』の略語です。因縁生起とは、あらゆるものは『因』と『縁』によって生じるというもの。『因』とは結果を招く直接的な原因、『縁』とはこれを補助する間接的な条件のことです。たとえば、花は種をまくと芽が出て、開花します。ですから、種は花が咲く直接の原因、つまり、『因』となります。しかし、種をまいただけでは花は咲きません。水や肥料や太陽の光が必要です。これらの水、肥料、太陽などが間接的な条件、つまり、『縁』ということになります。
私たちを含めたあらゆるものや事象は単独で存在しているわけではなく、さまざまな原因によって成り立っており、原因や条件が変われば事象もまた変化します。永遠不変の事象などはないのです。「どういう条件が揃えばいったい何が起こるのか」「こういうことが起こった場合、どのような要素が集合しているのか」

良いことも悪いことも何事にも原因と状況があるんですよ。ということで。

お釈迦様の生涯 ⑤入滅

お釈迦様は80歳になりました。精力的に説法を続けてきたお釈迦様でしたが、さすがに体力も落ち、旅先で食中毒にかかってしまいます。豚肉料理またはキノコによるものと言われています。お釈迦様はクシナガラ郊外の沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で、頭を北、顔を西に向け横たわると、高弟や信者たち、獣や虫までが見守る中、「悲しまなくていい…私が説いた教えと戒律が、死後にお前たちの師となろう。ただ一切は過ぎていく。怠ることなく修行を完成しなさい」と最期に語って入滅(他界)されました。仏教では釈迦の死を涅槃(ねはん、吹き消されたという意味)と呼び、2月15日の涅槃会で釈迦を追悼しています。涅槃には“煩悩の火が吹き消された状態”という意味もあり、この場合は悟りの境地を指します。
弟子たちは皆泣き伏し、お釈迦様の死を悼んでいました。お釈迦様を荼毘(だび)に付そうとしましたが七日間も火が着かなかったそうです。七日目に教団の後継者である摩訶迦葉(まかかしょう)がクシナガラに到着すると日は待っていたかのように燃え出したのです。お釈迦様の遺骨は八つに分けられ、遺骨を収めるための各地に塔が建てられました。塔のことをサンスクリット語で『ストゥーパ』といい、これが漢字で『卒塔婆(そとうば)』と音写されました。これが塔婆の由来です。
こうしてお釈迦様は生涯を終えました。

お釈迦様は生涯を通じて沢山の教えを説いています。
それが仏の教え、仏教です。
今後このブログで少しずつ仏の教えをお伝えしていきますので、ぜひご覧ください。

法蔵寺 涅槃会だんごまき